殺人鬼、御園芽衣子 ⑪
- 2019/05/28 05:58
次の日。八月十六日は登校日だった。別にそれ以上でもそれ以下でもない、ただの八月十六日になるはずだった。なるはずだったんだ。
午前中の授業を終えて、部室に向かうと、そこにはアリスしか居なかった。
アリスしか居ない。つまり、僕の疑問を晴らす機会は今しかない。
そう思った僕は、一番アリスに近い席に腰掛けて、質問する。
「アリス」
「…………何?」
アリスはまたも難しい本を読んでいた。見ると、アレイスター・クロウリーの『法の書』だった。またどうしてそんな難しい本を読んでいるんだろうか。……いやいや、今はそんなことを考えている場合じゃない。
「一昨日、殺人を犯したのは、君?」
僕は単刀直入に問いかけた。
僕と彼女の間に、無駄な言葉など必要ないと思ったからだ。
僕と彼女の間に、無駄なやりとりなど必要ないと思ったからだ。
僕と彼女の間に、無駄な価値観など必要ないと思ったからだ。
だから、彼女は言った。
「…………うん」
頷いた。
彼女は、数刻の余韻を置いて、頷いた。
「僕は、殺人をした理由を聞きたいんじゃない、と言えば嘘になる。どうして、人を殺したんだい?」
「…………任務だから」
「任務? 誰かに命じられた、ってことか?」
「…………そこから先は、」
「うん?」
「…………禁則事項だから」
禁則事項、ねえ。
つまり、話を聞いても教えてくれないということか。思った以上にガードは堅いようだ。
そんなことを思っていたら、放送のアナウンスが聞こえてきた。
『――高畑アリスさん、至急保健室に来てください。繰り返します、高畑アリスさん、至急保健室に来てください。放送終わります』
「行かなきゃ」
「それも、『命令』なのか?」
「…………たぶん、そう」
たぶん、か。
いずれにせよ、今の彼女を止める術は今の僕には持ち合わせてはいなかった。
そう思っているうちに、アリスはたったったと走って何処かへ消えていった。
それを僕は、目線で追いかけることなんてしなかった。
※
保健室には、今池先生が待機していた。
今池先生は七月からやって来た新任の先生である。高畑と同じタイミングでやって来た人間ということは、何らかの関係性はあるのかもしれないが、それを考えることは、『いっくん』を含めた彼らには何も出来る訳がない。
「…………失礼します」
「あらあら、そんなに畏まらなくたって良いのに」
「…………また、『治療』?」
「そうよ。『治療』は嫌い?」
こくり、と頷く高畑。
それを見た今池先生は、ただ一言だけ呟く。
「大丈夫よ、ちくりとするだけだから。直ぐ終わるから、ね。今は未だ平和だけれど、いつかこの世界で大きな戦争があったとき……貴方達には役立って貰わなくてはならない。そのために私達が居るのだから。分かっているわね? 高畑アリスさん」
「…………分かっている」
何処からか取り出した注射器に、緑色の液体を投入していく。
そしてそれを見た彼女は、何処か怖がったような表情を浮かべていたが、今池先生はそんなこと気にする素振りも見せなかった。
そうして、注射器を彼女の右腕に突き刺した。
「…………っ」
痛みは感じるのだ。
未だ、痛みは感じるのだ。
今池先生はそんなことを思いながら、ごめんなさいと思いながら、液体を注入していく。
それが彼女のためならば。それがみんなのためならば。それがこの国のためならば。
どんなことだってしてやる。どんなことだってしてみせる。
そう思いながら、注射器を抜く今池先生は、
「終わったわよ。今日も良く痛みに耐えられたわね」
「…………出動は?」
「今のところ予定はないわよ。それとも、試験走行(テストプレイ)がしたい?」
「…………それは、良い。計画は順調なの? …………今池誠司令官」
「ええ、順調よ。順調すぎるぐらい。今は北も東も落ち着いているしね。……問題はいつ『あれ』が投下されるかどうか、ってこと。あれが投下されてしまったら、貴方達にも頑張って貰わなくてはならない。それは、任務の一つとして決められたことなのだから」
「…………分かっている」
「じゃあ、これで終わりだから、教室に戻りなさい。……それとも、気分が優れないとか、そういう副作用があったりする?」
「…………、」
首を横に振る高畑。
そうして、高畑は席から立ち上がり、保健室から出て行くのだった。