クスノキ祭 ⑪
- 2019/06/08 20:16
僕は、何も言えなかった。
言い出すことが出来なかった。
いつか、離れる日が来ることは分かっていた。そして、それが徐々に近づいてきているということも分かっていた。
けれど、それから逃げていた。
けれど、それから逃げたかった。
僕は、それが嫌だった。
僕は、それが出来なかった。
「……いっくん?」
「……あずさ?」
立ち尽くしていると、あずさが声をかけてきた。
未だメイド服を着ているところを見ると、どうやらクラスのメイド喫茶談義は続いているようだった。
「いっくん、どうしたの? とても青ざめた表情を浮かべているようだけれど」
「……あずさ。いや、何でもないよ。何でも、ない」
「ほんとう?」
「…………ああ」
嘘を吐いてしまった。
嘘を吐くしかなかった。
嘘を吐くしか、道がなかった。
「あずさ」
「何?」
「……もし、僕と一緒に逃げようと言ったらどうする?」
「何、突然」
彼女は笑いながら、僕に語りかける。
彼女には――記憶がないのだろうか。
確か、今池先生と桜山先生がそんなことを言っていたような気がする。
でも、彼女の記憶が戻ってしまうのは――僕にとって悪いことだと思っていた。
「いや、ちょっと気になって」
「ちょっと気になって、ってどういうことよ。私だって気になるんだけれど。いったい全体、どうしてその話になった訳?」
「……えーと、UFOに連れ去られてしまったら大変だな、と思って」
「何、それ。馬鹿じゃないの」
そう言って。
あずさは走り去っていった。
僕はキットカットの入った袋を持ったまま、その場に立ち尽くしてしまうのだった。
「早く来なよ、いっくん」
あずさは笑って、語りかける。
僕だけ、全てを知っている。
僕だけ、自由に出来る。
僕だけ、彼女を自由に出来る。
あずさとアリスを、助けることが出来る。
夏が終わってしまう前に。
文化祭が終わってしまったら――彼女達は居なくなってしまう。
それだけは避けておきたい。
それだけは避けてしまいたい。
それだけは何とかしておきたい。
僕は、僕は、僕は――。