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逃避行のはじまり ⑪

  • 2019/06/13 07:08

 肉まんは美味かった。
 コンビニで買う肉まんの百倍上手かった――というと語彙力がないように見えてしまうけれど、ほんとうにそうだった。実際、コンビニの肉まんも馬鹿に出来ない美味さであることは知っているのだけれど、中華街で作っている肉まんは何せ本格的なそれだ。だから、美味さが段違いなのは見て当然と言えることだった。
「美味しかったね、肉まん! やっぱりこういうところで食べる肉まんは、何か違う感じがするのかな」
 平日ということもあり、中華街は空いている――と思っていたのだが、普通に観光客でごった返していた。だから人混みに紛れてご飯を食べる――という、どちらかといえばやっぱりマナーが問われてしまう食べ方になってしまうのだけれど、今それを問う人間は誰も居ない。だから僕達は比較的自由に食事を取ることが出来たのだ。
 あずさが最後の肉まんの一欠片を食べ終えたところで、僕達は月餅屋へと移動する。
 月餅屋には数多くの月餅が並べられていた。チョコ餡とかあるのか。
「どれが良いかな? やっぱりスタンダードの普通の月餅? それともトリッキーに攻めてみる? チョコ餡なんて美味しそうじゃない?」
「……それはあずさに任せるよ。ただしおじいちゃんは糖尿病を患っているのでそこは注意してくれ」
「ええっ、じゃあ、簡単に決められないし。それとも甘いものにしない方が良いのかな?」
 それはお前に任せるって言っただろ、さっき僕が、今。
 そんなことを言ったのだが、あずさは聞いていなかったのか聞かなかったフリをしているのか分からないけれど、僕に問い返した。
「だーかーらー、やっぱり甘いものにしようと思ったんだけれど、糖尿病の人に甘いものを見せるのは何だか可哀想な気がしてならないって言っているでしょう? だったら、甘いものじゃなくて……、そう、例えば崎陽軒のシウマイとかにした方が良いのかな、って思ったの」
「……もう好きにしてくれ。僕は口出ししないから」
 せっかくあずさが用意してくれる、と言ったのに僕があーだこーだと口にしたら、それは僕のお土産になってしまう。
「あっ、それとも、いっくんも何か買いに行くのかな? だったら話は変わっていくよ。私と被らない方が良いもんね!」
「……だから、僕は買わないって言っただろ」
 変な気を遣わせても悪いしな。
「えー、いっくんは絶対に買っておいた方が良いと思うけれどなあ。親戚とか居ないの?」
「……居ないことはないけれど」
 遠縁の親戚が近所に住んでいる。
 挨拶は交わす程度の仲に過ぎないのだけれど。
「だったら、だったら! その人の分も購入しないと不味いよねっ」
「……あずさ、別に遠縁だから気にする必要はないぞ。僕は買うつもりは一切ないからな」
「ええっ。だからいっくんは絶対に買った方が良いって! 月餅。月餅じゃなくても良いけれど!」
 お前、それ月餅屋で言う台詞か?
 そんなことを考えたのだけれど、結局押しに押されてしまい、遠縁の親戚の分も購入することになってしまった。畜生、これじゃ、向こうに挨拶しなくちゃいけなくなってしまったじゃないか。何と面倒なことになってしまったんだろうか。
「買い物はこれで充分かな! あ、でもいっくんはおばあちゃんに買う分を横浜駅で仕入れていくこと! それは絶対十分条件だよ!」
 それを言うなら、必要十分条件じゃないか?
「そうそう、それ! 必要十分条件! 買わないと、めっ、だからね! 家族は大事にしないと」
「家族は大事に……か。まさかあずさからそんな言葉が出るなんて思いもしなかったよ」
 もっとも、あずさ自身はそんなことさっぱり考えていないんだろうけれど。
 これから何をするのか、ということについて。

 

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