逃避行のはじまり ⑤
- 2019/06/12 16:42
「どうして君は帰ってきたんだっけ?」
話題を変えよう。明るくない話題であったとしても、今の話題を長く続けていることが問題なのだ。だったら、別の話題に切り替えた方が良い。一度話した話題であったとしても、だ。
「だから言っただろ。俺が帰ってきたのは実家に近かったからだ、って」
「ということは、昔は君も普通の人間だったのか?」
「普通の人間という定義がどうかは分からないけれど、殺人鬼ではなかったのは事実だな」
「普通の人間という定義、ね」
確かに僕にも分からなかった。
普通の人間、というのはどういう立ち位置で言えば良いのかさっぱり分からない。僕は純然たる普通の人間として生きてきたつもりだったけれど、しかしながら、それが普通の人間じゃないと言われてしまえばそれまでである。僕にとって、その価値観は変えたくないし、変える必要がないと思っている。それがどうであれ、僕の価値観を変える可能性のある出来事になってしまうかどうかは、それはまた別の話だったりする訳であるのだ。
では、それはそれとして。
芽衣子が小さい頃はどういう生活を送っていたのだろうか?
そして、どうして殺人鬼という人生を歩むようになってしまったのだろうか?
答えは見えてこない。そして、答えが見えてくるはずもない。
僕はただ、出口の見えない迷路に迷い込んでいるだけなのかもしれない。
「……芽衣子は、どうして殺人鬼になろうとしたんだ?」
「なりたくてなったんじゃない。……師匠がそういう人間だった、ってだけだ」
「師匠が、ねえ? でも、殺したんだろ」
「ああ、殺したよ」
「どうして殺したんだ?」
「殺したくなったから殺したんだ。……師匠曰く、『それが修行の最終段階』だったらしいけれどよ。俺にとってはちょっと辛かったかな。まあ、一応育ての親みたいなところもあった訳だし」
「だよな……。育ての親を殺すってことは、そう簡単なことじゃないよな」
人を殺すってこと自体が難しいことなのだろうけれどさ。
分かっている。というのは、ちょっと僕の考え過ぎなのだろうか。
「でも、今は後悔していないよ。別に育ての親を殺したからといって、縁が切れた訳じゃない。俺にとっては、ただの価値観の違いがあったから、というだけに過ぎないのさ。だから、俺にとっては全然問題なかった。だから、俺は俺を褒め称えてやりたいと思っているぐらいだ」
「褒め称えてやりたい、か……」
分からなかった。
僕にはその意味が理解できなかった。
人を殺した自分を、褒め称えてやりたいという思いが理解できなかった。
「……でもまあ、悪くないのかな。その考えも」
「そりゃそうさ。だから俺は俺として生きている。依頼を受けりゃ何でも引き受ける、殺し屋みたいな人間として生きていくのが俺にとってはちょうど良いのさ」