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夢と現実の狭間で ①

  • 2019/06/14 20:23

「来るなら来るって連絡してくれれば良いのに」
「ごめんごめん。急に行きたくなったんだ」
 僕は祖母にそう謝罪して、月餅を手渡した。
 ちなみに親戚には崎陽軒のシウマイを渡している。ほんとうはそちらを祖母に手渡したかったのだが、高い方をあちらに渡した方が良い、と言ってきたので月餅を渡すことに相成ったのである。相変わらずこの人は他人に対しての世間体を気にする立ち位置に立っている。
「……それで? 彼女達とはどういう関係なの?」
「それは……えーと、聞かないで貰えると助かるかな。あと、これから一週間ぐらい泊まるつもりだからさ」
 一週間。
 それが僕達に定められたタイムリミット。
 勿論、勝手に定めたタイムリミットであり、それ以上でもそれ以下でもないのだが。
「一週間? えーと、まあ、別に良いけれど……。着替えとか、あるかしら?」
「ないと思う。だから買い出しに行かないと」
「あらあら。それじゃあ、おじいさんに頼まないと行けないわねえ」
「そういうことか。……おーい、あずさ、アリス。今から服を買いに行くよ」
「どうして?」
「……どうして?」
 二人はほぼ同じ反応を示した。まあ、当然と言えば当然だろう。
「僕達はこれから一週間ばかりここに住むことになる。匿う、と言えば良いかな」
「どうして? ねえ、学校はどうなるの?」
「学校は休むことになると思う。でも、心配はしないでくれ。安心して過ごして欲しい」
「ねえ、どうして?」
 あずさが僕に語りかける。
 どうしてもこうしてもあるものか。
 僕達はこれから長い戦いを生き抜いていかないといけないんだ。
 双塔の覚悟を持って動かないと行けないことは分かっているけれど、今はただここに身を寄せるしかない。
「……なあ、あずさ。僕のことを信じてくれ。頼むよ。そうしないと君達が救われない」
「私達が救われないってどういうこと? 私と、アリスにいったい何があるというの?」
 言われたって、答えることが出来ない。
 かといって、冷たくあしらうことも出来る訳がない。
「分かっている。分かっているんだ。だが……、僕の言うことを聞いてくれ」
「だから、あなたの言うことってどういうことなの!?」
「頼むからっ!!」
 僕は気づけば、大声を出してしまっていた。
 部屋だけでなく、家全体に響いてしまうような、それぐらいの大声を。
「……頼むから、僕の言うことを聞いてくれよ。お願いだ」
 僕の言葉に、アリスは何も言わなかった。
 あずさは――それを聞いて俯いたまま、
「分かった」
 とだけ呟いていた。

   ※

 二日目。
 気のせいか分からないが、あずさの行動が徐々に過去に遡っている気がする。
 僕が昨日大声を出してしまったせいなのか、答えは見えてこない。
「いっくん、いっくん、今日はクスノキ祭だよ? 学校に行かないの?」
「違うんだよ、あずさ。今日はクスノキ祭じゃない。ただの平日だ」
「……いっくんの嘘吐き。今日はクスノキ祭だって」
「違うんだよ……違うんだよ、あずさ……」
「……、」
 アリスは僕とあずさの行動をただじっと眺めていた。
 自分には関係ない、とでも思っているのか?
 だとしたらそいつは大間違いだ。僕は、君達二人を助けたいと思っているからな。
「ねえねえ、いっくんは私のメイド服姿を見たくないの? だからクスノキ祭に行きたがらないの?」
「違う。違うんだよ、あずさ。クスノキ祭は終わったんだ。だから、行かなくて良いんだよ」
「……どういうこと? さっぱり分からないよ。いっくんの言っていることが」
 

逃避行のはじまり ⑬

  • 2019/06/13 16:36

 寝ていた。
 最初の一時間はあずさもアリスも景色を楽しんでいたのだけれど、新宿駅を過ぎた辺りでそれにも飽きてしまったらしく、ぐっすりと就寝してしまっていた。僕はというと、この電車が小山止まりではないため、起きておくのが必要十分条件だったという訳だ。というか、誰かが起きていないと、寝過ごしてしまう可能性が非常に高い。だったら、僕が起きていないと困る――という訳だ。普通に考えてみれば分かる話。あずさもアリスも小山駅のことを知らないのだから、自ずと起きるのは僕だけになってしまうのだ。
 という訳で。
 僕は景色を楽しむことに専念しつつ、時折スマートフォンでアプリをプレイしていた。大宮駅辺りまでは都会の風景が漂っているのだが、大宮駅を過ぎるとそれも一変。徐々に住宅街だったのが、畑ばかりの風景へと変化していく。神奈川県、東京都、埼玉県、栃木県と三県一都を経由している電車のため、乗客の変化も激しい。一番混んでいたのはやはり東京都を移動している間で、大宮駅を過ぎた辺りになるとそれも少なくなりつつあってきていた。
 四人がけの席を三人で占拠していることに罪悪感を抱きながら、僕はずっと電車に乗っていた訳なのだけれど、しかして、それが出来るのも遠距離電車である宇都宮線の特徴といえるだろう。湘南新宿ラインか上野東京ラインかの違いがある訳だけれど、どちらを通るのかは、本人の意思による。ちなみに空いている方が上野東京ラインだと思う。上野駅では意外と乗る人が少ない印象が強い。
「……暇だな」
 呟いたところで問題が解決する訳もない。とはいえずっとスマートフォンのアプリを遊んでいては、電池が切れてしまう。だから僕はずっと景色を眺めていたのだが、これ自体も初めてのことではないので、やはり飽きが来てしまう。
『間もなく小山、小山です。新幹線、水戸線、両毛線はお乗り換えです』
「おっと、もうそんな時間か」
 僕は二人を起こして、降りる準備をする。未だ眠たいのか、目を擦りながら、あずさは言った。
「もう降りるのー?」
「もう、って言っても三時間ぐらいは乗っているんだぞ。とは言っても、あとこれからもう少し乗るんだけれどな」
「乗るって何処まで?」
「下館、って場所まで」
「しもだて?」
「うん。そこに行けば実家までもう少しだ。……問題は水戸線の電車がいつ発車するかなんだけれど」
「どういうこと?」
「水戸線は本数が少ないんだよ。年々減って、とうとう二時間に一本まで減少してしまった。江ノ電とは大違いだ」
「二時間に一本……」
 あずさはそれを聞いて目を覚ましたのか、目を丸くしている。
 もっとも、アリスは未だその意味に気づいていないようだったが。
 小山駅に降りると、既に十五番ホームには電車がやって来ていた。
「もう来ているな! 急がないと乗り遅れるかもしれない。急ぐぞ!」
 僕は走り出す。
「ま、待ってよー!」
 あずさとアリスは僕を追随するように走って行く。
 そして電車に乗り込むと、僕達は漸く安堵の溜息を吐くことが出来た。
「ふう……。何とかなった……」
「下館までどれくらいかかるの?」
「十五分ぐらいかな。それ程時間はかからないはずだよ」
「だったら、立ちっぱなしでも問題ないね」
 電車は混んでいて、座れるスペースもないようだった。二時間に一本ともなれば、乗客も増えていくのは当然といえばそれまでだろう。
 僕はそんなことを思いながら、電車に揺られるのだった。

 ※

 下館駅。
 そこから歩いて徒歩五分に、実家はあった。実家は二階建てで、一階は貸している。今は美容室になっているんだったかな。僕も詳しい話は聞いたことがない。何せここを購入したのは叔父さんで、叔父さんが所有権を持っているからだ。かつてはここに暮らしていた時期もあったのだけれど、僕の部屋は未だ残っているのだろうか?
「あらあら、急にどうしたの。いらっしゃい」
 急にやって来たにもかかわらず、祖母は僕達を受け入れてくれた。
 時刻は午後三時を回った辺り。ちょうどこれから親戚の家に向かうのだという。ついていくか、と言われて、僕達もそれに了承する。
 一先ず、安息の地へと辿り着いた。
 ……いつまで続くかは分からない、逃避行のはじまりだ。

 

逃避行のはじまり ⑫

  • 2019/06/13 14:37

 横浜駅の駅前に、崎陽軒の本店は存在している。シウマイ弁当で有名な、あの崎陽軒だ。余談だが、僕はシウマイ弁当は完璧な弁当だと思っている。メインディッシュのシウマイ(さらに余談だが、シュウマイではなく、『シウマイ』)に、タケノコの煮物、焼き豚に厚焼き卵、マグロの付け焼きにかまぼこ、鶏唐揚げに切り昆布、さらに千切りのショウガに杏の甘煮というデザートまでついている。ご飯は俵型になっており、一口で食べやすいものになっている。それもまた有難いものだ。実はシウマイ弁当だけなら藤沢駅にも販売しているのだが、シウマイとなると崎陽軒本店や、分店に行かないと売っていないケースが多い。だから、ここに来られるのはある意味夢のようだった。これだけは流石にあずさにありがとうと言っておかなくてはいけないだろう。僕はそんなことを思いながら、崎陽軒本店へと足を踏み入れる。
「何を買いに来たの?」
「勿論、崎陽軒といえばシウマイだろう! シウマイ弁当も購入して、電車で食べるのもありだな。シウマイ弁当は完璧な駅弁だと思っているからね」
「……そ、そうなんだ」
 若干引かれているような気がするのだけれど、気のせいだろうか?
 僕はそんなことを思いながら、カウンターへ向かう。
「いらっしゃいませ」
「すいません、シウマイの十六個入り一つとシウマイ弁当を三つ」
「はい。少々お待ちください」
「ちょっと。私達の分は自分で払うわよ?」
「良いよ、別に。わざわざ僕が買うんだ。これぐらい好きにさせてくれ」
 そう言って、僕は会計を済ませる。
 少々余計な出費をしてしまったような気がするが、実家に帰ればお金はかからない。それを考えれば、これくらいはしょうがない出費だと思う。
 そう思いながら、僕は崎陽軒を後にした。
「さて、と。買い物も済ませたし、今度こそ家に向かおうか」
「横浜から一気に行けるの?」
「えーと、小山で乗り換えが必要だけれど、殆ど一発で行けるよ」
「それなら、問題ないね」
「そういうこと」
 僕はそう言って、横浜駅へと向かうのだった。

 ※

 横浜駅。
『まもなく、宇都宮行きが参ります』
「宇都宮行きって珍しいな……。でもまあ、一回で行けるから良いか」
「いっくんは何でも知っているね。だから『いっくん』なのかもしれないけれど」
 そんなことを言われても……な。
 僕は呟きながら、電車が来るのを待った。
 電車は平日の昼間ということもあり、空いていた。ボックスシートに座り込み、僕達はちょっと遅めの昼ご飯ということにする。
「そういえばさっき弁当を買ったんだっけ?」
「そうそう。そのために買ったんだよ」
 シウマイ弁当を一人一人に手渡して、僕は蓋を開ける。
 あずさとアリスも、それを見て、僕と同じように蓋を開けた。
 蓋を開けると、手拭きと箸が入っている。そのうち手拭きを手に取り、手を綺麗に拭き取った。そうして箸を割って竹で出来た内蓋を開ける。
 シウマイに醤油を注いで、僕はシウマイを一口。といってもシウマイ自体一口で食べられるサイズになっているから、一口で食べきってしまうのだけれど。
「うん、やっぱり美味い」
「ほんとうだ、美味しい! いっくんは何でも知っているね?」
「何でもってことはないよ。知っていることだけさ」
 僕はちょっと昔に出た本のキャラクターの台詞を真似てみた。
 真似るだけで、信条はそうではないのだけれど。
「……美味しい」
 アリスの口にもどうやら合ったらしい。僕はそう思って少しほっとする。
 電車は動き出し、次の駅へと向かう。
 目的地である実家までは――あと三時間あまり。

 

逃避行のはじまり ⑪

  • 2019/06/13 07:08

 肉まんは美味かった。
 コンビニで買う肉まんの百倍上手かった――というと語彙力がないように見えてしまうけれど、ほんとうにそうだった。実際、コンビニの肉まんも馬鹿に出来ない美味さであることは知っているのだけれど、中華街で作っている肉まんは何せ本格的なそれだ。だから、美味さが段違いなのは見て当然と言えることだった。
「美味しかったね、肉まん! やっぱりこういうところで食べる肉まんは、何か違う感じがするのかな」
 平日ということもあり、中華街は空いている――と思っていたのだが、普通に観光客でごった返していた。だから人混みに紛れてご飯を食べる――という、どちらかといえばやっぱりマナーが問われてしまう食べ方になってしまうのだけれど、今それを問う人間は誰も居ない。だから僕達は比較的自由に食事を取ることが出来たのだ。
 あずさが最後の肉まんの一欠片を食べ終えたところで、僕達は月餅屋へと移動する。
 月餅屋には数多くの月餅が並べられていた。チョコ餡とかあるのか。
「どれが良いかな? やっぱりスタンダードの普通の月餅? それともトリッキーに攻めてみる? チョコ餡なんて美味しそうじゃない?」
「……それはあずさに任せるよ。ただしおじいちゃんは糖尿病を患っているのでそこは注意してくれ」
「ええっ、じゃあ、簡単に決められないし。それとも甘いものにしない方が良いのかな?」
 それはお前に任せるって言っただろ、さっき僕が、今。
 そんなことを言ったのだが、あずさは聞いていなかったのか聞かなかったフリをしているのか分からないけれど、僕に問い返した。
「だーかーらー、やっぱり甘いものにしようと思ったんだけれど、糖尿病の人に甘いものを見せるのは何だか可哀想な気がしてならないって言っているでしょう? だったら、甘いものじゃなくて……、そう、例えば崎陽軒のシウマイとかにした方が良いのかな、って思ったの」
「……もう好きにしてくれ。僕は口出ししないから」
 せっかくあずさが用意してくれる、と言ったのに僕があーだこーだと口にしたら、それは僕のお土産になってしまう。
「あっ、それとも、いっくんも何か買いに行くのかな? だったら話は変わっていくよ。私と被らない方が良いもんね!」
「……だから、僕は買わないって言っただろ」
 変な気を遣わせても悪いしな。
「えー、いっくんは絶対に買っておいた方が良いと思うけれどなあ。親戚とか居ないの?」
「……居ないことはないけれど」
 遠縁の親戚が近所に住んでいる。
 挨拶は交わす程度の仲に過ぎないのだけれど。
「だったら、だったら! その人の分も購入しないと不味いよねっ」
「……あずさ、別に遠縁だから気にする必要はないぞ。僕は買うつもりは一切ないからな」
「ええっ。だからいっくんは絶対に買った方が良いって! 月餅。月餅じゃなくても良いけれど!」
 お前、それ月餅屋で言う台詞か?
 そんなことを考えたのだけれど、結局押しに押されてしまい、遠縁の親戚の分も購入することになってしまった。畜生、これじゃ、向こうに挨拶しなくちゃいけなくなってしまったじゃないか。何と面倒なことになってしまったんだろうか。
「買い物はこれで充分かな! あ、でもいっくんはおばあちゃんに買う分を横浜駅で仕入れていくこと! それは絶対十分条件だよ!」
 それを言うなら、必要十分条件じゃないか?
「そうそう、それ! 必要十分条件! 買わないと、めっ、だからね! 家族は大事にしないと」
「家族は大事に……か。まさかあずさからそんな言葉が出るなんて思いもしなかったよ」
 もっとも、あずさ自身はそんなことさっぱり考えていないんだろうけれど。
 これから何をするのか、ということについて。

 

逃避行のはじまり ⑩

  • 2019/06/13 06:46

 横浜駅から離れない、という台詞は何だったのか。
 気づけば、乗り換えに乗り換えを重ねて、僕達はある場所に到着していた。
 横浜中華街。
 横浜市に広がるチャイナタウンで、約二百平方メートルの面積に五百近い店舗が広がっており、東アジア最大の中華街と呼ばれている。
「わーっ、わーっ! いっくん、いっくん! 肉まんだよ、肉まん! 美味しそう! 食べて良い? 食べて良い?」
「別に良いけれど……。駅から離れない、って話は何だったのか……」
「だって、横浜に来たらやっぱり中華街は外せないでしょう! 私も来たことなかったし。いっくんだって来たことはなかったでしょう?」
 いや、確かになかったけれど。
 でもわざわざやって来る必要はなかったんじゃないか、って思えてしまう。
「一応言っておくけれど、ここに来た理由は……?」
「勿論! いっくんのおばあちゃんに挨拶するためのお菓子を買いに来たのよ! 何を買いに来たのかは秘密ということで」
「秘密、ねえ……」
「秘密にしておくと何かと面白いでしょう? 大丈夫、何があるかはリサーチ済だから!」
 ということはいつかはここにやって来たいという思いが強かった、ということか。
 調査済、ってことはそういう面があったっていうことだよな。
 何というか、分かりきっている話に見えるけれど、それはどうだって良い話だ。僕にとって、何とか逃げ切れればそれで良い。……いつまで逃げれば良いのか? という話になってしまうのだけれど、それは分からない。答えが見えてこない旅になるのだろう。そして、中学生である僕達には資金源がない。お小遣いで逃げ切れるには限界がある、ということだ。そしてその限界は――僕達が定めることが出来る、ということである。
「ねえねえ、あれ食べてみたい」
 アリスが裾を引っ張って、僕に何かを見せてくる。
 何だと思ったら――ごま団子だった。
「良いよ、別に。……お金はあるんだろうね?」
「ある、ある。幾らか貰ってきた」
 そう言ってアリスは財布から一万円を出してきた。……わお、ブルジョワ。
 アリスについていって、ごま団子を一緒に購入することになった。それぞれお金を支払って、食べ歩きをする。食べ歩きってマナーがなってない、と言われるかもしれないけれど、でも、悪くない食べ方だと思う。
 僕はそんなことを思いながら、待っていたあずさにごま団子の入った袋を手渡す。
「わわっ、アリスずるいよ! 私だって食べ歩きしたいものがあったのに! ……って、何これ?」
「お前も食べたいだろ。だから買ってきた」
「ありがとっ! こういう心遣いが出来るのがいっくんの良いところだよね」
 ……そうだろうか?
 僕はそう考えながら、話を続ける。
「ところで、あずさ。何か買うものは決まっているのかな?」
 僕は特に買うものは決めていなかったのだけれど。
「ああ、それならもう決めてあるよ!」
 そう言ってあずさが指さした先にあったのは――月餅だった。
 月餅。
 月のように丸く、平べったいお餅のような形をしたお菓子である。中には餡子が入っており、とっても美味しい、らしい。らしい、というのはあくまであずさから聞いた話だからそれを知ることがない、ということであるためだった。
「月餅、か。聞いたことはあるよ。美味しいんだってね」
「良いでしょう、良いでしょう? だから私はこれにしようって決めていたんだよ、前から!」
 前から、っていつからだよ。
 僕は突っ込みたかったけれど、それ以上言わないでおいた。
 あんまり強く言うと、何だか彼女が可哀想な気がしたからだ。
 だから僕はそれに従って、月餅を買うことにしたのだった。
「あ、でも、その前に肉まんね! 食べ歩きするなら肉まんでしょう!」
 ……それ、何処のルールだよ。
 僕はそう呟きながら、ごま団子を口の中に放り込んだ。……いやはや、口の中が熱い。

 

逃避行のはじまり ⑨

  • 2019/06/12 21:05

 監視されている可能性を考慮するならば、僕はそれに肯定せねばならないだろう。
 何せ池下さんに言われたのだ。――逃げるなら今のうちだ、と。そして僕はそれに従って、逃げている。それが意味するのは、彼の意見に同意したということ。彼の意見に反対しなかったということ。彼の意見に賛同したということ。それが何を意味しているのかは――分からない程、僕も馬鹿じゃなかった。
「……見た感じ、監視されている様子はないけれど」
「いっくん? どうかした?」
「いいや、何でもないよ。……ところで、さっきからごそごそしているのは何かな?」
「いっくんのおばあちゃんに挨拶するんだったら何か食べ物でも用意しておけば良かったな、って思っているんだよ。生憎チュッパチャプスしかないんだよね。新しもの好きだったりしない?」
「……うちのおばあちゃんはそんなこと気にしないから安心して良いよ」
「ええっ? ほんとうに?」
「ほんとうだよ。嘘は吐かない」
 ……まあ、それ以上に吐いている嘘がいくつかあるのだけれど、それは言わないでおこう。
「だったら問題ないかな。アリスも何か捜し物をしているようだけれど、アリスも同じ理由?」
「……食べ物を渡すのは常識、と習ったから」
「いやいや! うちのおばあちゃん、そんなに世間体気にしていないから安心して良いよ? 最悪小山駅のコンビニで買うキャラメルみたいなものだって充分だし」
「そうなの? ……だったら良いけれど」
 何とか二人とも納得してくれたらしい。
『次は横浜で御座います。お出口は――』
「いや! でもやっぱり買っておいた方が良いよ!」
 座っていたあずさがいきなり立ち上がると、そう高々に宣言した。
 周りの目があるんだから、あんまり目立った行動をされると困るんだけれどな……。
「ええっ? 良いよ、別に。気にしないで」
「私が気にするの! という訳で、次の横浜で降りるよ! 良いもの思いついたから! 大丈夫、駅から離れるつもりはないし!」
「え、ええっ!?」
 そういう訳で。
 僕達三人は横浜駅で途中下車をすることに相成ったのであった。

 

逃避行のはじまり ⑧

  • 2019/06/12 20:52

 江ノ電に乗って、藤沢駅へ。
 そこから湘南新宿ライン、小金井行きに乗り込む。
「こが……ねい?」
「栃木県にある駅のことだよ。ここから百キロぐらい離れているんじゃないかな。時間的には三時間ぐらいかかると見積もっているよ」
「……いっくん、まるでそこまで行くような物言いだね?」
「え? いや……その……何でもないよ」
 出来る限り、悟られたくなかった。
 僕が『いっくん』である限り、彼女達には幸せで居て欲しかった。
 だからこそ。だからこそ。だからこそ。
 僕は僕であり続ける。そのために。
「……いっくんは、どうして今日出かけようと思ったの?」
「え?」
「いや、だから、どうしていっくんは出かけようと思ったのか、って言っているんだけれど」
「……いや、ただ、たまに何処か出かけたくなるんだよね」
「ほんとうに?」
「……ほんとうに」
 嘘を吐くつもりはなかった。
 嘘を吐きたい訳ではなかった。
 ただ、真実を伝えられなかった。
 ただ、それだけのことだったのだ。
 僕がどう生きていこうと、それは決められるものではない。
 同時に、彼女達が生きていこうと思うこともまた、誰かに決められるものではない、と思っている。
 だから、だからこそ。
 僕は生きていこうと思った。
 僕は彼女達を救いたいと思った。
 僕は生きている価値を見出そうと思った。
『ドア閉まります、ご注意ください』
 電車のドアは閉まり、電車は発車する。
 ゆっくりと景色がスライドしていき、徐々に加速していくのが分かる。
「ねえ? 何処へ行くのかだけでも教えて欲しいんだけれど」
「……僕のおばあちゃんに会いに行くんだ。でも家族はなかなか会える機会がないものでね、だから君達と一緒に会いに行こうと思ったんだ。悪い話でもないだろう?」
「どうして私達と会いに行くことになったのかは分からないけれど……、でもまあ、良いか。いっくんのおばあちゃんってどんな人だろう……。会ったことがないから分からないけれど」
 僕も会いに行くのは、久しぶりだ。
 それも、急に電話もせずに会いに行くのは。
 もしかしたら用事があって外に出ているかもしれない。
 高齢者ゆえ、病院に行くのが日課みたいなことになってしまっているから、居ないことも数多いのだ。連絡をしないと、もしかしたら居ないタイミングに家に到着するかもしれない――という予想も立てていたのだけれど、電話をする余裕すらなかった。
 理由は、もしかしたら僕の周りにどれだけの自衛隊関係者が居るか分からなかったから。
 もし電話をしている最中にその人間に出会したら、僕の計画がパーになってしまう。そう思ったのだ。だから、僕は言わなかった。ギリギリまで言うのを避けていた。もしかしたら、今も誰かが監視しているかもしれない。そんな恐怖に怯えながら、僕は電車に乗っていた。
 

逃避行のはじまり ⑦

  • 2019/06/12 20:27

 時は戻る。
 文化祭――クスノキ祭は土日を使う行事だったため、一日の休息日が与えられている。
 休息日といっても、要するにただの振替休日だ。
 その休日をどう使うかは自由だ。だけれど、僕にとっては重要な日に位置づけられていた。
「……遅かったね」
「ごめんごめん、いっくん。叔父さんがなかなか外に出してくれなくって。でも、問題なしっ! いつでも何処でも行くことが出来るよっ」
 先に到着したのはあずさだった。
 あずさはいつも通り元気だった。それだけが取り柄――というのも言い方が悪いけれど、しかしながら、僕にとってはあずさが元気で居ること自体が有難かった。僕を頼ってくれること自体有難かった。
「……どったの、いっくん? 何か悪いものでもあった?」
「……いや、何でもない。それより、アリス、遅いな」
「なかなか出してくれないんじゃない? だって、休みは今日だけだし。だったら家に居る方が得策でしょう? まあ、アリスの両親に会ったことないから分からないけれどさ」
「……遅くなったの」
 うわっ。
 背後から突然アリスの声が聞こえて、僕は驚いてしまった。
 アリスは何があったのかさっぱり分からない様子だったが、それよりも、僕の驚いている様子が気になるようだった。
「何をそんなに驚いているの。私は、ただここにやって来ただけなの」
「そういう問題じゃないだろっ。突然後ろから声をかけられたら驚くに決まっているっ。……まあ、アリスで良かったけれど」
 正直、アリスは来ないと思っていた。
 アリスの両親が分からない――それにUFOを見つけた日の次の日に学校にやって来たことから、自衛隊の関係者じゃないかと思っていた。だからアリスは連れて行けないんじゃないか、なんて思っていたのだ。
 だが、だからこそ。
「……アリス、来てくれて良かった」
「どうしたの。そんな顔して」
「……いいや、何でもない。僕は君達が来てくれて、ほんとうに良かった」
「いっくんらしくないよ。その感じ」
 あずさは僕に語りかける。
「あずさ」
「いっくんはもっと元気もりもりだったよ。百パーセントの全力だったよ。でも今は、二十パーセントぐらいの力しか出し切れていないような感じがするよっ。分かる? 分かる? 分かるかなあ?」
 いや、分からない。
「いっくんはとにかく元気で居て欲しいんだよ。分かる? 分かって欲しいな。いっくん」
 ああ、分かっているよ。分かっているとも。
 僕はそう思いながら、話を続ける。
「それじゃ、向かおうか。……今日は、良いところまで連れて行くつもりだよ」
「良いところって何処? この前の映画館があった場所より良いところかな?」
「そうだ。それよりも良いところだよ。絶対に、絶対に良いところだから」
 そう言うことしか出来なかった。
 それ以上言うことは出来なかった。
 けれど――行き先は既に決まっていた。
 目的地は、決まっていた。

 

逃避行のはじまり ⑥

  • 2019/06/12 17:06

「……ちょうど良いのか。分からないな、お前の生き方って奴が」
「そういうもんだぜ。人間の生き方は他の人間には分からない。それが人間の良いところだと思うぜ、俺は」
「そういうもんかなあ……」
 僕は再びブランコを漕ぎ出していく。
 そこに答えはないのかもしれない。
 そこに道標はないのかもしれない。
 そこには何もないのかもしれない。
 けれど、僕は前に突き進むことしか出来ない。
 退路は既に断たれている。だったら、前に進むしかないのだ。
「話を戻すけれどさ」
 芽衣子がブランコに座りだして、話を続ける。
「いっくんはやっぱり、『助けたい』という思いが強い訳?」
「……そりゃそうだろ。やっぱり助けたいという思いが強いに決まっているだろ。だけれど、それはやっぱり難しいところがある……というのも確かに間違っているのかもしれない」
「間違っている、と?」
「ああ、そうだろうね」
「いっくんは、どう考えている訳? ……この先、どうすれば良いと思っているんだ?」
「僕はやっぱり、一緒に居ることが出来ればそれで良いと思っているんだ」
「そこに覚悟はあるのか?」
「覚悟?」
「そう、覚悟だよ。俺は殺人鬼になるときは殺人鬼になるべく、覚悟を抱いた。だが、いっくん、お前はどうだ? お前は、一緒に居ることが出来れば良い……でもその覚悟を抱いているのか、と言っているんだ」
「覚悟……」
 ある、と言えば嘘になるのかもしれない。
 でも、ない、という訳でもない。

 ――僕はどう答えれば良い?

「覚悟……。僕は、それを持っていないのかもしれない」
「うん」
「けれど、」
「けれど?」
「一緒に居たいという気持ちは……誰よりも強いと思う」
「思いは、誰よりも強い……ねえ。いっくんらしいといえば、いっくんらしいのかな?」
 芽衣子は話を続ける。
「俺はそんな思いを抱いた人間に出会ったことがないから分からないけれど、一度だけ、家族に会いたいと死に目に言った人間は居るよ」
「その人は……結局殺したのか?」
「ああ、結局殺したよ。だってそうじゃないと、殺人鬼としてのメンツが保てないだろ?」
「…………そうか、殺したのか」
「どうした? 情でも湧いたか?」
「別にそんなつもりはないけれどさ……。その人は可哀想だな、と思ったんだよ」
「どうして、だ? 殺人鬼に殺されるぐらい運が悪くて、どうしようもない奴だったんだぜ?」
「そうかもしれない。そうだったかもしれない。けれど、やっぱり、可哀想だな、って思うんだよ。死に目に家族に会えなかったのは、可哀想だな、って」
「じゃあさ、一言だけ言っておくよ」
 芽衣子はブランコから降りて、公園の外に出ようとする。
 芽衣子はそのまま話を続けた。
「……家族と『守りたい人』。どちらが大事か少しは考えてみた方が良いよ? どちらも居るというのなら、猶更、ね」
 そう言って。
 芽衣子は公園を出て行った。
 誰も居ない相浜公園は――一気に沈黙と化していくのだった。

 

逃避行のはじまり ⑤

  • 2019/06/12 16:42

「どうして君は帰ってきたんだっけ?」
 話題を変えよう。明るくない話題であったとしても、今の話題を長く続けていることが問題なのだ。だったら、別の話題に切り替えた方が良い。一度話した話題であったとしても、だ。
「だから言っただろ。俺が帰ってきたのは実家に近かったからだ、って」
「ということは、昔は君も普通の人間だったのか?」
「普通の人間という定義がどうかは分からないけれど、殺人鬼ではなかったのは事実だな」
「普通の人間という定義、ね」
 確かに僕にも分からなかった。
 普通の人間、というのはどういう立ち位置で言えば良いのかさっぱり分からない。僕は純然たる普通の人間として生きてきたつもりだったけれど、しかしながら、それが普通の人間じゃないと言われてしまえばそれまでである。僕にとって、その価値観は変えたくないし、変える必要がないと思っている。それがどうであれ、僕の価値観を変える可能性のある出来事になってしまうかどうかは、それはまた別の話だったりする訳であるのだ。
 では、それはそれとして。
 芽衣子が小さい頃はどういう生活を送っていたのだろうか?
 そして、どうして殺人鬼という人生を歩むようになってしまったのだろうか?
 答えは見えてこない。そして、答えが見えてくるはずもない。
 僕はただ、出口の見えない迷路に迷い込んでいるだけなのかもしれない。
「……芽衣子は、どうして殺人鬼になろうとしたんだ?」
「なりたくてなったんじゃない。……師匠がそういう人間だった、ってだけだ」
「師匠が、ねえ? でも、殺したんだろ」
「ああ、殺したよ」
「どうして殺したんだ?」
「殺したくなったから殺したんだ。……師匠曰く、『それが修行の最終段階』だったらしいけれどよ。俺にとってはちょっと辛かったかな。まあ、一応育ての親みたいなところもあった訳だし」
「だよな……。育ての親を殺すってことは、そう簡単なことじゃないよな」
 人を殺すってこと自体が難しいことなのだろうけれどさ。
 分かっている。というのは、ちょっと僕の考え過ぎなのだろうか。
「でも、今は後悔していないよ。別に育ての親を殺したからといって、縁が切れた訳じゃない。俺にとっては、ただの価値観の違いがあったから、というだけに過ぎないのさ。だから、俺にとっては全然問題なかった。だから、俺は俺を褒め称えてやりたいと思っているぐらいだ」
「褒め称えてやりたい、か……」
 分からなかった。
 僕にはその意味が理解できなかった。
 人を殺した自分を、褒め称えてやりたいという思いが理解できなかった。
「……でもまあ、悪くないのかな。その考えも」
「そりゃそうさ。だから俺は俺として生きている。依頼を受けりゃ何でも引き受ける、殺し屋みたいな人間として生きていくのが俺にとってはちょうど良いのさ」
 

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