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2019年05月28日の記事は以下のとおりです。

八月三十一日⑤

  • 2019/05/28 23:43

 鵠沼海水浴場は既に大勢の客で一杯になっていた。
「うわあ……、何というか想像以上に人が多いな……」
「そりゃ、海に泳ぎに来た人はもっと早くからここに来ているからね。実際問題、こんな時間からやって来るのは地元民ぐらいだよ」
「確かにそれもそうだよなあ……。僕も急に言ってしまって悪いことだとは思っているよ」
「まあまあ、でもまあ、海水浴は実際に出来ていなかった訳だし……。私達にとっても有難いことだと思っているよ。それに、先輩から聞いたんじゃない?」
「何が?」
「海に飛び込むことの、気持ちよさを」
「……確かに、そうかもしれない」
 僕は思った。
 かつて先輩に言われた言葉。――海に飛び込むのは、気持ちが良い。
 それを僕はずっと鵜呑みにしていたのかもしれない。
 現実的に受け入れていたのかもしれない。
「受け入れていたのではなく、受け入れようとしていた、の間違いではないですか?」
 言ったのはあずさだった。
 どういうことだろう。あずさの言葉に僕は耳を傾ける。
「それは結局の話、経験論な訳だけれど、受け入れたかったこと、受け入れられなかったこと、受け入れようとしなかったことというのは違ったニュアンスだったりする訳で」
「ニュアンスの違い?」
「そう。ニュアンスの違い。ニュアンスの意味は分かるかな?」
 ニュアンス。色合いや音など、双塔に違う感じを与えるような違いのことを言う。
 だっただろうか。
「そうそう。その通り。ニュアンスの意味を知っているのも、流石はいっくんだね」
「いや、僕じゃなくても若干本を読んでいる人ならば、分かりそうな物だけれど……」
「でも周囲に居るのって、いっくんが一番近い人間だからさ。ニュアンスの言葉ぐらい分かるんじゃないかな、って」
「試した、ってこと?」
「そうとも言うかな」
 鵠沼海水浴場には、着替え室が用意されていた。
 とはいえ、簡単に間仕切りされている程度の空間だった訳だけれど。
 男女に分かれているので、ここでお別れということになる。
「それじゃ、着替えたら、またここで会いましょう。いっくん」
「うん、分かったよ」
 そういうことで、僕達は別れることになった。
 着替えが済むまで、それぞれお互いに別行動を取ることになった。

   ※

 着替えが終わり、僕は外に出ていた。
 水色の学校指定の水着に、オレンジ色のアロハシャツを身に纏っている。サングラスをかけている姿は何というか似合わない感じが見て取れる。けれど、太陽は眩しいし、人の目線は気になるし、致し方ないと言えばそれまでと言えるだろう。
「お待たせ、いっくん」
 出てきたあずさを見ると、僕は少しだけ顔を赤らめてしまった。
 赤を基調としたセパレート型の水着。それを身に纏った彼女は、その上から白いシャツを羽織っている。赤い水着が目立つから、だろうか。確かに目立つ色をしている。赤い水着はそのままでいると目立ってしまう、と僕は思っていた。だからもし何も着てこなかったらアロハシャツをかけてあげようと思っていたぐらいだ。
「……うん、似合っているよ、あずさ」
「いっくんに言って貰えると嬉しいかな」
「おおい、二人とも」
 言葉を聞いて、そちらを振り返る。
 すると、そこに立っていたのは、水色の学校指定の水着を着用して、青と黄色のシャツを身に纏った部長と、同じく水色の学校指定の水着を着用して、赤いアロハシャツに身を纏った池下さんが立っていた。
 アリスは何処に行ったのかというと、池下さんに隠れていた。
 アリスは学校指定のスクール水着を着用していた。そのままの姿だった。白い肌をしているからか、それが何だか目立っている。
「これで全員揃ったな!」
「あれ? 桜山先生は?」
「先生なら未だ着替えているはずだけれど……」
「お待たせ!」
 そう言ってやって来た桜山先生は、白いセパレート型の水着を身に纏っていた。
 ガイナ立ちをしていたけれど、それをする程の余裕があるとは全くもって思えなかった。
「……改めて、これで全員揃ったね」
「それじゃ、泳ぎましょうか」
 ということで。
 僕達は海水浴に勤しむことになるのであった。

 

八月三十一日④

  • 2019/05/28 22:04

 七里ヶ浜駅には、あずさの姿があった。
 白いワンピースを身に纏った彼女は、学生服を身に纏った彼女とは違う風貌を感じさせる。そもそも洋服が違うのだから、風貌が違うのも致し方ないのかもしれない。そもそもの話、そんな光景を目の当たりにすること自体が珍しかったのかもしれない。部活動のときだって、普段は学生服だった。だから私服を見ると言うことは珍しいということこの上ない。
「何よ、じっと見て。何か変な物でも付いている?」
「いや、そういう訳じゃないんだけれどさ。……私服のあずさを見るのが、珍しく感じちゃって」
「そりゃそうでしょうね。私も、私服のいっくんを見るのは初めてだし」
「……あれ? 初めてだっけ?」
「いいや、良く考えたら、違う気がする」
「初めてじゃなくて、二度目だっけ?」
「二度目だね。正確には。あの怪しい洋館に行ったときは私服だったもんね」
 そういえばそうだった。
 どうしてお互いに気づけなかったのだろうか。
 気づこうとして、気づきたくなかったとして、気づけなかったとして。
 それがどう動こうというのか。それがどう選ぼうというのか。それがどう有り得ようというのか。
 僕には分からない。
「……いっくん、取り敢えず、出発しようか。刻一刻と時間は迫ってきている訳だし」
「……そうだね」
 そう言って。
 僕とあずさは一歩前に踏み出す。
 一歩、前に。
 ICカードの簡易改札機にSuicaをタッチして、直ぐにやって来た藤沢行き各駅停車(そもそも江ノ電には各駅停車以外の種別が存在しない訳だが)に乗り込む。
 車内は夏休み最終日ということもあって混んでいた。座ることも出来ないので、取り敢えず僕達はドアの傍で立っていることにする。どうせ数駅だ。数駅立っているだけで着くんだから何の問題はない。
「ところで、鵠沼海水浴場ってどういうところなんだい?」
「新江ノ島水族館が近くにある、とっても広い海水浴場だよ。江ノ島駅からだと大分歩くけれど……、片瀬江ノ島駅からだったらそう距離はかからないかな。けれどまあ、私達に用意されている交通手段って江ノ電しかない訳だし。先輩達もきっと一本前か一本後かの電車で乗ってきているはずだよ」
「先輩もあの近辺に住んでいるのか?」
「うーん、詳しくは知らないけれど、七里ヶ浜の近くであることは間違いないんじゃないかな。だって中学校って越権入学が出来ない訳でしょう? だったら、そう遠くからやって来ることなんて出来ないんじゃないかな、って」
 それもそうか。
 だとすれば、僕達はそう遠くない距離に全員が集まっている、ということか。
 だったら海水浴場に集合じゃなくて、七里ヶ浜駅に集合でも悪くなかったんじゃないだろうか。それはそれでどうかと思うけれど。もしかしたら何らかの問題が生じて海水浴場に直接集合するのがベストであるという選択にしたのかもしれない。まあ、詳しい話は海水浴場に到着してから聞くことにしよう。そうしよう。
「あ、江ノ島駅に着くよ」
 あずさの言葉を聞いて、僕は我に返った。
 江ノ島駅に到着して、改札口にSuicaをタッチする。そうして僕達は江ノ島駅から出る。出るとメインストリートは人でごった返していた。何というか、人の洪水を浴びている気分だ。人の洪水、という単語だけで気持ち悪くなってしまうのは、都会に慣れていないからかもしれない。
 いずれにせよ。
 僕達はこの洪水を掻い潜って、進まなくてはならない。
 鵠沼海水浴場に、向かわなくてはならない。
「さ、行こう。いっくん」
 あずさが手を差し出してきた。
「あずさ? え? どういうこと?」
「だって離れたら大変でしょう? いっくんはここに来てから未だ日が浅い訳だし。だったら、私についていかないと分からないでしょう? だから、こういう態度を取る訳。ドゥーユーアンダスタン?」
「オー、イエス」
 ……という訳で。
 僕とあずさは、手を取り合って鵠沼海水浴場へと向かうのだった。
 ただ、それだけの話だった。
 

八月三十一日③

  • 2019/05/28 21:03

 予想通りというか、案の定というか。
 結局、朝目を覚ますと八月三十一日になっていた。
 これで八月三十一日は三度目の経験ということになる。
「何が原因だったんだ? ……ええと、思い出せ。エンドレスエイトでは何をしていた?」
 思い出されるのは、『涼宮ハルヒ』シリーズの短編、エンドレスエイト。
 ライトノベルも手広くカバーしている僕にとって、涼宮ハルヒシリーズも読了済みだった訳だけれど、しかし意外とその内容についてはぱっと浮かんでこないものである。
 では、どうすれば良いか。
「じゃあ、違う行動を取ってみよう」
 例えば、部活動のみんなを海に誘ってみるとか。

   ※

「海?」
「どうですか? 花火も買ったりして、夏休み最後に遊ぶっていうのは。勿論、夕方以降になれば、星空も見られると思うのですけれど」
「……良いんじゃない、良いんじゃないですか、部長! 確かに急ごしらえな意見であることは間違いないですけれど、こう暑い部室にずっと籠もりっぱなしよりかは海に泳ぎに行くのも悪くないと思いますよ。どうですか? 部長」
「うーん、悪いとは言わないけれどなあ」
 部長はどうも乗り気ではなさそうだった。
「でも、たまには撮影場所を変えてみるのも悪くないんじゃないか? 野並」
 意外にも池下さんはやる気がありそうだった。
 これは僕の意見に乗ってくれそうな予感……。
 乗ってくれるなら、乗ってくれるだけ有難い気分であることは間違いない。
「うーん、それじゃ、海に行くことにしようか。場所は……鵠沼海水浴場でどうかな?」
「鵠沼?」
「うんうん。江ノ島の傍にある海水浴場だけれどね、近くて人もたくさん多いけれど、この時間から行くとなるとその辺りしか想像がつかないよ。……そういう訳で、桜山先生、良いですね? 今日は海水浴で」
「うんうん、全然問題ないよ! 寧ろ私にとっても有難いと思っていたぐらいだし!」
 どうやらメイド服は想像以上に熱いようだ。
 そんなことを考えながら、僕達は海水浴場に向かうべく準備を進める。
 夏休み最終日。遊んでいる場合か、と言われるとはっきり言って違うけれど。
 たまには違う行動を取ってみるのも、まあ、悪くはないだろう。

   ※

 海水浴場は各自向かうことになった。
 集合時間は今から一時間後の十二時。ちなみに、七里ヶ浜駅であずさと合流することになっている。
「急に海水浴をする、って……。えーと、あ、はい、これ! 学校用のパンツだけれど、これを履いて行きなさい」
「履いていくの?」
「その方が都合が良いでしょう?」
 それもそうかもしれないけれど。
 僕はパンツを持ったまま、自室へ戻っていく。
 半袖のシャツに、半袖のズボン。いかにも今から「泳ぎに行きます」といった感じのスタイルに身に纏って、僕は階下へと降りていく。
「お小遣い、持った?」
「持ったよ」
「携帯は?」
「持った」
「じゃあ、問題ないね。行ってらっしゃい。……今晩、食事はどうする?」
「うーん、どうしようかな。食べるときは、連絡するよ。連絡がなかったら、用意しておいて」
「分かった」
 そう言って、僕は家を出て行った。

 

八月三十一日②

  • 2019/05/28 19:19

 次の日。目を覚ますと、九月一日……になるはずだった。
 時計を見ると、八月三十一日。
 ははあん、どうやら時計が壊れてしまったのかな?
 そんなことを思いながら、階下に降りていくと――。
「あら、今日は早いわね。どうかしたの?」
「だって、今日は始業式の日だろ? だったら早く出かけないと」
「……? 寝ぼけているんじゃないの? 今日は八月三十一日、夏休み最後の日じゃなくて?」
「…………え?」
 何を巫山戯ているんだ?
 今、母さんは何て言った?
「今、八月三十一日って言った?」
「言ったよ? それがどうかした?」
「いやいや、母さんこそ寝ぼけているでしょ。今日は九月一日――」
『八月三十一日、モーニングニュースのお時間です。皆さん、おはようございます』
 テレビからそんな言葉が聞こえてきて、僕の顔は青ざめた。
「どういうことだってばよ――――――――――――――!」
 僕は思わずテレビに向かって叫んでしまっていた。
 目を覚ませば、九月一日だったはず。
 だのに、起きたら、また八月三十一日。
 これって何? エンドレスエイト的な何か?
 だとしたら、僕のクラスにハルヒが居るのか? いいや、そんな奇抜な人間は見受けられなかったはずだ。
 だとしたら、いったいどうして?
「……疲れているんじゃない? 今日は部活動、休んだら?」
「う、ううん。大丈夫だよ。今日も部活動行ってくるよ」
 そう言って、僕は食べ終わった皿を片付けた。

   ※

 天体観測を終えて、夏休みの収穫を再確認。
 結局、夏休みはUFOの画像を撮影することは出来なかった。
 UFOなんてそう滅多に撮れるものじゃないから、仕方無いのかもしれないけれど、とはいえ、そのUFOを見つけることが出来るというのもこの宇宙研究部のモチベーションに繋がる訳であって、出来ることなら一度ぐらいは見つけておきたかった訳でもある。
「今日は最終日だし、みんなでファミレスでも行こうか?」
 桜山先生がそんなことを言ってきたので、僕達はそれに従うことにした。
 既に時刻は午後九時。夕食は今日は食べてくると言ってきたので特に問題はないはずだ。そう思って僕はそれに頷いた。
「そういえば皆さん、夏休みの宿題は終わりました?」
「夏休みの宿題? そんなもの終わったよ」
「僕も終わったよ、当然だろ?」
「私も終わりましたよ」
「…………私も、終わった」
 全員が終わったとの報告。
 なんと終わっていないのは僕だけだった。
「そんな質問をするということは、いっくんは未だ終わっていないということ?」
「うん、未だ終わっていないんだ。帰ったら徹夜で終わらせないといけないね……」
「徹夜はあまりしない方が良いよー。成長が止まるらしいしね」
「そうなんですけれど……。でも夏休みの宿題が終わらない方が未だ大変なので」
「そうなのよねえ……。四十日もあるぐらいだから、大量に宿題を押しつけてやろう、という思いも分からなくもないけれど。何せ私は宿題を押しつけた側の人間だし?」
 ああ、そういえばそうだった。
 確かに桜山先生は数学の先生で、どちらかといえば宿題を押しつける側の人間だったことを思い知らされた。
 それはそれとして。
 結局、僕は特に進展もなく、夏休み最後の天体観測(後夜祭含め)を終えることが出来たのだった。

  ※

 帰ったら、再び強烈な眠気に襲われた。
 そういえば昨日はこれで眠ってしまって八月三十一日に引き戻されたんだった……!
 だったら、この眠気に逆行すればいいんじゃないか?
 答えは見えてこないけれど、やってみる価値はある。
 そう思って僕は机に向かって、宿題の続きをやり始める。
 ……駄目だ。計算問題は眠気に通用しない。寧ろ眠気を促進する作用があるように見受けられる。
 ……そして、気づけば僕はそのまま机に突っ伏して眠ってしまっていた。

 

八月三十一日①

  • 2019/05/28 18:59

 八月三十一日。
 文字通り、夏休み最後の一日。
 その日まで、残り五時間というところまで迫ってきていた。
「終わらねえー! 夏休みの宿題が、全然終わらねえよー!」
 しかし、僕は、出来ることなら夏休みの延長を待望していたのだった。
 あと一日と五時間で終わる訳がない。このボリューム、一人で出来る訳がない。
 せめて宇宙研究部のみんなが手伝ってくれれば……なんて思ったけれど、そんなことは出来る訳がないだろう。
 あの連中が他人の勉強を手伝ってくれることなんて、一パーセントの確率もない。
 あの連中、なんて言ってみてはみるものの、数ヶ月はお世話になっているのだから、少しは言い方を変えてみてはどうだろうか、なんてことを思わせてしまうのだけれど、しかしながら、僕に取ってみては彼らはただの夏休み搾取ロボットでしかない。ゆっくり休めるはずの夏休みの殆どを、天体観測と旅行で費やされてしまっているのだから。
「一生、九月一日がやってこなければいいんだけれどな……。或いは、夏休みの宿題が瞬間に終われば良いんだけれど」
 そんな願いは、叶う訳がない。
 そう分かっていても、呟く事しか出来ない。
「……ああ、何というか、満たされない夏休みだったような……」
 そういえば今年は海も行けていない気がする。いや、謎の洋館には行ったけれど。
「来年こそは良い夏休みを迎えることが出来れば良いんだけれどな……」
 そんなことを思いながら、ベッドに横になる。
 もう結局、明日の自分に済ませてしまえば良い。
 そんなことを思いながら、僕は眠りに就いた。
 そう、そのときまでは。

   ※

「最終日も結局天体観測ですか……」
「何だい? 何か悪いことでもあるかい?」
「ないとは言わないですが……。何というか、ネタに飽きてきたというか……」
「ネタって何だよ、ネタって。そんなことはないよ。天体観測の時期は今がピークなんだからね。瑞浪基地からいつUFOが出なくなるかどうかも分かったものじゃない。そう考えれば、別に天体観測も悪いものじゃないだろ?」
「でも海にも行けなかった程のハードスケジュールだった訳だし……」
「それは海に行けないような計画を立てた君が悪い」
「そんな馬鹿な!」
 入部したときはそんなブラックな部活動だとは思いもしませんでしたよ!
 僕はそんなことを思いながら、天体観測の準備を進めるのだった。

   ※

 天体観測を終えて、夏休みの収穫を再確認。
 結局、夏休みはUFOの画像を撮影することは出来なかった。
 UFOなんてそう滅多に撮れるものじゃないから、仕方無いのかもしれないけれど、とはいえ、そのUFOを見つけることが出来るというのもこの宇宙研究部のモチベーションに繋がる訳であって、出来ることなら一度ぐらいは見つけておきたかった訳でもある。
「今日は最終日だし、みんなでファミレスでも行こうか?」
 桜山先生がそんなことを言ってきたので、僕達はそれに従うことにした。
 既に時刻は午後九時。夕食は今日は食べてくると言ってきたので特に問題はないはずだ。そう思って僕はそれに頷いた。
「そういえば皆さん、宿題は終わりました?」
「終わったよ」
「終わったよ、当然だろ?」
「終わりましたよ」
「…………終わった」
 全員が終わったとの報告。
 なんと終わっていないのは僕だけだった。
「そんな質問をするということは、いっくんは未だ終わっていないということ?」
「…………うん、未だ終わっていないんだ。帰ったら徹夜で終わらせないと……」
「徹夜はあまりしない方が良いよー。成長が止まるらしいしね」
「そうなんですけれど……。でも夏休みの宿題が終わらない方が未だ大変なので」
「そうなのよねえ……。四十日もあるぐらいだから、大量に宿題を押しつけてやろう、という思いも分からなくもないけれど。何せ私は宿題を押しつけた側の人間だし?」
 ああ、そういえばそうだった。
 確かに桜山先生は数学の先生で、どちらかといえば宿題を押しつける側の人間だったことを思い知らされた。
 それはそれとして。
 結局、僕は特に進展もなく、夏休み最後の天体観測(後夜祭含め)を終えることが出来たのだった。

   ※

 家に帰ると、急激な眠気に襲われた。
 エナジードリンクなどは購入してきていない。だから自力で目を覚まさなくてはならない。
 しかしながら、この眠気じゃいくら何でも作業効率が悪い。
 今の時刻は午後十時。家を出るのは午前八時。残された時刻はあと十時間。宿題の分量的にあと五時間はあれば終わることが出来るはず。
「それなら、あと五時間は寝てもいいはず……」
 そう思って、僕はベッドに崩れ落ちた。
 それが、失敗だったということに気づくまで、そう時間はかからなかった。

 

殺人鬼、御園芽衣子 ⑫

  • 2019/05/28 06:12

 結局、他のメンバーがやって来るまで、アリスは帰ってこなかった。
 だから僕はあれの続きを聞くことは出来なかった。
 何だろう、このむず痒さは。
 犯人は分かっているのに、警察に突き出すことは出来ない。
 どうせ突き出したところで、『任務』と命じたところが揉み消すに違いないということ。
 そもそも『任務』を命じたところはいったい何処になるんだ?
 UFOが来た次の日に彼女はやって来た。……ということは、彼女はやっぱり、『宇宙人』なのか? だとしたら所属は何処になる? 自衛隊? そもそも僕達の法律で裁ける人間だというのだろうか?
 分からない。全くもって分からない。
 僕は、ちっぽけな人間だ。
 僕は、小さい人間だ。
 何も出来ない、何もすることが出来ない、何も逃れる事が出来ない。
 ちっぽけで、臆病で、どうしようもない人間だ。
 でも、それでも。
 やれることはきっと――あるんじゃないか?
 僕はそんなことを思うようになるのだった。

   ※

 その夜も、天体観測は失敗だった。
 UFOが見えることはなかったのだ。
 いつも通り片付けは部長達とあずさに済ませて、僕とアリスはさっさと帰ることになった。
 アリスはというと、僕の予想の五倍ぐらいのスピードでさっさと帰ってしまったため、続きを聞くことは出来なかった。
 そうそう、強いて言うならば。
 今日も彼女に出会うことが出来た――ってことぐらいかな。

   ※

 後日談。
 というよりもただのエピローグ。
 相浜公園のブランコに、今日もあいつはやって来ていた。
「……御園芽衣子」
「やっほ、いっくん。どうしたの、そんな暗い顔して」
 ブランコの隣に腰掛ける僕は、そんなに暗い顔をしていただろうか。
「犯人は、やっぱり俺だったか?」
 その言葉に、首を横に振る。
「そりゃ、とんだ冤罪だったな。そして、その態度からしてどうやら犯人も見つけているようだが」
「ああ。見つけているよ。けれど、そいつを警察に突き出すことはきっと出来ない」
「どうして? このまま俺の冤罪が適用されたまま、って言うのかよ? まあ、きっと過去にやった殺人をでっち上げてくるんだろうけれどよ」
「……あいつは、殺人を『任務』と言った。だから、あいつには上が居るんだ。命令系統上の上の存在が。その存在をどうにかしない限り、何も始まらないし、何も終わらない」
「そいつをどうにかすることは?」
「出来ないだろうね。今の僕じゃ」
「ふうん。お前らしくもない」
 ブランコから立ち上がると、僕の前に立つ御園。
 御園は言った。
「……それでもお前は俺と同じ存在なのかよ? いっくん」
 そう言い残して、御園はそのまま公園から出て行ってしまった。
 僕はそれを、見えなくなるまでずっと見送ることしか出来ないのだった。

   ※

 最後に、もう一つ。
 三日前の殺人を最後に、殺人事件は収まった。ワイドショーも殺人事件をあまり取り上げなくなってきたので、このまま殺人事件は闇に葬られることになるのだろう。
 結局、アリスが犯人だったのか。
 結局、御園が犯人だったのか。
 それは分からない。
 それが分からない。
 けれど――これだけは分かる。
 中学生一人で何とかなるようなものじゃない――何か大きな流れがあるということを。

 

殺人鬼、御園芽衣子 ⑪

  • 2019/05/28 05:58

 次の日。八月十六日は登校日だった。別にそれ以上でもそれ以下でもない、ただの八月十六日になるはずだった。なるはずだったんだ。
 午前中の授業を終えて、部室に向かうと、そこにはアリスしか居なかった。
 アリスしか居ない。つまり、僕の疑問を晴らす機会は今しかない。
 そう思った僕は、一番アリスに近い席に腰掛けて、質問する。
「アリス」
「…………何?」
 アリスはまたも難しい本を読んでいた。見ると、アレイスター・クロウリーの『法の書』だった。またどうしてそんな難しい本を読んでいるんだろうか。……いやいや、今はそんなことを考えている場合じゃない。
「一昨日、殺人を犯したのは、君?」
 僕は単刀直入に問いかけた。
 僕と彼女の間に、無駄な言葉など必要ないと思ったからだ。
 僕と彼女の間に、無駄なやりとりなど必要ないと思ったからだ。
 僕と彼女の間に、無駄な価値観など必要ないと思ったからだ。
 だから、彼女は言った。
「…………うん」
 頷いた。
 彼女は、数刻の余韻を置いて、頷いた。
「僕は、殺人をした理由を聞きたいんじゃない、と言えば嘘になる。どうして、人を殺したんだい?」
「…………任務だから」
「任務? 誰かに命じられた、ってことか?」
「…………そこから先は、」
「うん?」
「…………禁則事項だから」
 禁則事項、ねえ。
 つまり、話を聞いても教えてくれないということか。思った以上にガードは堅いようだ。
 そんなことを思っていたら、放送のアナウンスが聞こえてきた。
『――高畑アリスさん、至急保健室に来てください。繰り返します、高畑アリスさん、至急保健室に来てください。放送終わります』
「行かなきゃ」
「それも、『命令』なのか?」
「…………たぶん、そう」
 たぶん、か。
 いずれにせよ、今の彼女を止める術は今の僕には持ち合わせてはいなかった。
 そう思っているうちに、アリスはたったったと走って何処かへ消えていった。
 それを僕は、目線で追いかけることなんてしなかった。

   ※

 保健室には、今池先生が待機していた。
 今池先生は七月からやって来た新任の先生である。高畑と同じタイミングでやって来た人間ということは、何らかの関係性はあるのかもしれないが、それを考えることは、『いっくん』を含めた彼らには何も出来る訳がない。
「…………失礼します」
「あらあら、そんなに畏まらなくたって良いのに」
「…………また、『治療』?」
「そうよ。『治療』は嫌い?」
 こくり、と頷く高畑。
 それを見た今池先生は、ただ一言だけ呟く。
「大丈夫よ、ちくりとするだけだから。直ぐ終わるから、ね。今は未だ平和だけれど、いつかこの世界で大きな戦争があったとき……貴方達には役立って貰わなくてはならない。そのために私達が居るのだから。分かっているわね? 高畑アリスさん」
「…………分かっている」
 何処からか取り出した注射器に、緑色の液体を投入していく。
 そしてそれを見た彼女は、何処か怖がったような表情を浮かべていたが、今池先生はそんなこと気にする素振りも見せなかった。
 そうして、注射器を彼女の右腕に突き刺した。
「…………っ」
 痛みは感じるのだ。
 未だ、痛みは感じるのだ。
 今池先生はそんなことを思いながら、ごめんなさいと思いながら、液体を注入していく。
 それが彼女のためならば。それがみんなのためならば。それがこの国のためならば。
 どんなことだってしてやる。どんなことだってしてみせる。
 そう思いながら、注射器を抜く今池先生は、
「終わったわよ。今日も良く痛みに耐えられたわね」
「…………出動は?」
「今のところ予定はないわよ。それとも、試験走行(テストプレイ)がしたい?」
「…………それは、良い。計画は順調なの? …………今池誠司令官」
「ええ、順調よ。順調すぎるぐらい。今は北も東も落ち着いているしね。……問題はいつ『あれ』が投下されるかどうか、ってこと。あれが投下されてしまったら、貴方達にも頑張って貰わなくてはならない。それは、任務の一つとして決められたことなのだから」
「…………分かっている」
「じゃあ、これで終わりだから、教室に戻りなさい。……それとも、気分が優れないとか、そういう副作用があったりする?」
「…………、」
 首を横に振る高畑。
 そうして、高畑は席から立ち上がり、保健室から出て行くのだった。

 

殺人鬼、御園芽衣子 ⑩

  • 2019/05/28 02:24

 天体観測は今日も失敗に終わった。
 いや、天体観測自体は成功している。UFOの観測自体が出来ていないだけの話だ。
「今日も観測出来ませんでしたね……」
「まあ、明日なら観測出来るだろう! 明日は午後から部活動だからそこんところよろしく頼むぞ!」
 そう言って。
 部長と池下さん、それにあずさは片付けを任せてしまって、僕とアリスは帰るようにしてくれた。
 帰るようにしてくれた、と言っても帰ることが出来たという訳であって、それは、片付けするには人員が余るから余った人間はさっさと帰れよ危険だから、と言う桜山先生のお達しがあったためである。
 アリスと離れ、一人で歩くことになった僕だったが、あっさりと知り合いに会うことが出来るのだった。
 知り合いと言って良いのか分からないけれど。
「……御園芽衣子」
「お前は俺を呼ぶときはいつもフルネームで呼ぶのかい?」
 相浜公園のブランコに乗っていた。
 ちなみに警戒線は既に解除されているので、今は誰でも自由に入ることが出来る。
 だから問題はない――と言いたいところだが、警戒線が解除されたばかりの場所に入るのも何だか気が引ける。
 しかしずかずかと中に入っている彼女を見ると、自分も中には言って良いのだろうか、という思いが湧いてきてしまう。
 そう思いながら、結局僕は中に足を踏み入れた。
「……何を考えているんだか知らないけれどさ、時間かけて入ってきた割には何も考えていないよね? 恐らく」
「ごもっともです、はい」
「ところで、お前はいったい何をしていたのかな?」
「何をしていた……って、学校の帰り道だよ。そういう君は?」
「殺人の帰り道、かな」
 まるで学校の帰り道みたいに殺人を肯定するなよ!
 そんな突っ込みを入れたかったけれど、それよりも先に彼女が、
「まるで学校の帰り道みたいに言ってみたけれど、特に問題はないだろう?」
「問題あるよ! 学校の帰り道みたいに殺人を肯定するんじゃないよ!」
「殺人鬼にとって、殺人は学校みたいなものだからね。技術は見て盗め、と良く師匠に言われたものだよ」
 師匠なんて居るのかよ。
「師匠は二年前に捕まった。だから、俺が唯一の弟子みたいなもんだ。名前は藤岡達喜。もしかしたら名前ぐらいは聞いたことがあるんじゃないか? 世紀の殺人鬼、ついに逮捕される、なんて見出しが出ていたはずだろう」
「どうだろうね、僕、あんまり新聞とかニュースとか読まないから」
「へえ、珍しい。でもスマートフォンがあるだろう。それを使ってニュースとか」
「スマートフォンは学校には持ち歩かないことにしているんだ。だからいつも家に置いてある」
「それ、携帯電話って言うのか?」
「さあ? 携帯はしていないけれど、携帯出来る電話なんだから携帯電話で良いんじゃないの?」
「それならそれで良いけれど」
「ところで一つ聞きたいんだけれど」
「何?」
「昨日、人が死んだ」
「らしいね。警戒線が張られていた」
「その犯人って、君?」
「それは冤罪だ。それに昨日は人殺ししていないよ」
「でもあのとき、『人殺しは夜にする』って」
「あれはジョークみたいなものだよ、ジョーク。殺人鬼ジョーク」
 殺人鬼ジョークって何だよ。
「でもまあ、要するに君は人を殺していないんだね。ちょっと安心した」
「どうして?」
「もし殺していたら、僕も殺されるんじゃないかって思ったからさ」
「ははは。……そう思うのも当然か。ま、前にも言ったじゃないか、お前のことは殺さない。つまらない殺戮はしないって言っただろ?」
 言っていたような気がする。
「じゃ、今日はもう眠るから俺はさっさとバイバイするよ」
 そう言って。
 ブランコから立ち上がると、さっさと公園から出て行ってしまった。
 それを見た僕は、ただそれを見送ることしか出来なかった。
 殺人鬼を見送ることだけしか、出来ないのだった。

 

殺人鬼、御園芽衣子 ⑨

  • 2019/05/28 01:57

 次の日。朝のニュース番組では、今日も連続殺人鬼の報道を伝えていた。
『昨晩、鎌倉市七里ヶ浜相浜公園にて死体が発見されました。死体は昨日午後九時以降に殺害されたものとみられています。身元は未だ確認出来ていませんが、二十代から三十代前後の男性と思われます――』
「うわっ、相浜公園ってあなたの通学路じゃない? 大丈夫? 学校中止になったりしない?」
「……たぶん、なったりしないと思う」
「何で中止にならないんだろうねえ」
「そんなこと、僕が知りたいよ」
 そんな会話を交わしながら、朝食を終える僕達。
 連続殺人鬼を話題にするには、少々へビィ過ぎる時間帯だったのだ。

   ※

 相浜公園を通ろうとすると、警戒線が張られていた。
 ここを通ると学校への近道になるのだけれど、警戒線を潜って抜けようと思う程、僕も馬鹿じゃない。そう思って、僕は公園を遠回りして歩いていった。
 ただ、それだけのことだった。

   ※

「明日は登校日だけれど、半ドンだろ?」
「半ドン?」
 部長と池下さんの会話を聞いて、分からない単語があったので思わず反芻してしまった。
「ああ、半ドンというのはね、昼までしか授業がないってことだよ。昔からある言葉なんだけれどね。何でも昔は土曜日にも学校があって、そのときは半ドンだったらしいけれど」
「へえ。そうなんですか」
「だから、昼休みで学校は終わりってこと。……だったら午後は部活動が出来るな」
「でも天体観測出来るのは夕方ですよね?」
「そういうことになる」
「だったら登校日以外は夕方からにして欲しいものですけれど」
「図書室はクーラーが効いているからいいじゃないか」
「副室は効いていないじゃないですか」
「だったら図書室に居ればいいだろ。ただそれだけの話だ」
「でも、図書室は……」
 図書室をちらりと見やる僕。
 図書室の座席は既に勉強したい生徒や、休憩したい生徒で一杯になっていて、とても我が宇宙研究部が使えるスペースなど有りやしなかった。
 だからこの副室に僕達が追いやられている訳だけれど……。
 副室には扇風機しかない。だから時折やって来るクーラーの風を、扇風機で室内に送り込む。そうやって何とか涼しい風を得ている訳だけれど。
「それでも暑いことには変わりないからなあ……」
 副室には窓がない。四方が通路と図書室で囲まれているからだ。だから僕達は涼しさを知らない。暑い部屋に閉じこもってただひたすらと本を読んでいることしか出来やしないのだ。
 ちなみに今日は何を読んでいるか、って? 今日読んでいるのは、『大進化どうぶつデスゲーム』という本。最近入ってきた本なのでどういう内容かは分からないけれど、このタイトルでSFらしい。SFか。SFはなかなか読んだことのないタイトルなので、興味が湧いている。
「というか、女子高生十八人が八百万年前の地球にタイムスリップってどういうことだよ……」
 帯を見ながら溜息を吐く僕。いや、別に悪いことでも何でもないんだけれどさ。噂によれば、『最後にして最初のアイドル』という作品でデビューしたらしい。そちらは読んだことがないのでこの作品でお初ということになる。群像劇というだけでポイントが高いのに、百合が付くというのがさらにポイントが高い。あ、ちなみに百合というのは女性同士の恋愛という意味だ。それだけ聞けば興味を持つ人間も居るかもしれない。何せ図書室に納品されるぐらいの書籍なのだ。よっぽど面白いに違いないだろう。
「……ほら、いっくんも手伝ってよ、天体観測の準備!」
 ……だが、今日はこれを読み進めることは出来ないだろう。
 借りる準備を進めておきながら、僕は天体観測の準備をするために席を立つのだった。

 

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